今日のお仕事
福島第一原子力発電所の状況について(日報)
プラント関連パラメータ(PDF) 午前5時時点 午前11時時点
滞留水の水位・移送・処理の状況(PDF)12時時点
1号機R/Bカバー解体作業。今日は休工。
3号機原子炉注水、炉心スプレー系での単独注水試験として14-21日に炉心スプレー系からの全量注水を実施。現在は元に戻して状況を監視中(給水系、炉心スプレー系ともに1.5m3/h)。給水系ラインの改造工事をおこなうための事前確認(10月30日参照)。
サブドレン他水処理施設、10:15に一時貯水タンクBから排水を開始。
(以下、26日の日報より)15:09に排水を停止。排水量は732m3。
その他
地下水バイパス揚水井(奇数番+No.10)のサンプリング結果。23日採取分。
福島第一 地下水バイパス揚水井 分析結果(PDF 10.2KB)
No.10のトリチウムは1900Bq/L。
構内排水路の排水の分析結果(2015年3月4日参照)。24日採取分。
福島第一原子力発電所構内排水路分析結果(PDF 10.8KB)
おまけ
原発事故を巡る議論は、ついに「福島第一原発事故の放射線影響では健康被害は出ない」などという主張が堂々となされるところまで後退してしまった。「福島第一原発事故の放射線影響では健康被害は出ない」のなら、原発事故なんて怖くないし、そもそも事故っても無問題。避難区域を指定する必要もない。 https://t.co/zrBLc4VeTD— 想田和弘 (@KazuhiroSoda) 2017年11月24日
「放射線被曝が怖い→原発事故が怖い→1Fの事故で健康被害は出るに決まってる」という感じなんじゃないか。事実認定が、事実関係ではなくて主観的な印象(あるいは、情動と言っても良いのかもしれない)によって定まる、という態度。
気持ちはわからないではない。私だって1Fの事故の後、しばらくたって燃料別の発電量における死者数の図(https://www.nextbigfuture.com/2011/03/deaths-per-twh-by-energy-source.html より)を見たときには「いくら何でも、こんなはずないだろ?これじゃ、原子力より火力の方がよっぽど危ないじゃん」とか思ったから。石炭や石油の火力発電より原子力発電の方がずっとずっと死者が少ないなんて、納得できないというか、気持ちがついていかないんだよね。でも、今は違う。事実は事実として認めなければならない。私の気持ちなんて、どうでもいいんだ。私の気持ちで事実が変わるなんてことがあるわけがない。事実は、私の気持ちなんか忖度しない、全然関係ないところで決まってるんだ。そんなの、考えてみれば当たり前なんだけれど、でも、6年半前の私はそのことをきちんと理解していなかった。
事実は事実として認める。それが認めたくないことでも、だからと言って事実を変えることはできない。受け入れがたいことでも事実なら仕方がない。まずはそれを認める。現実をあつかっていこうとするなら、それより他に道はないんだ。だって、現実とは事実そのものだから。
受け入れがたい現実を受け入れられないが故に、現実をゆがめて認識する。そういう態度は、現実と対峙しこれと交渉していくことを阻害する。例えば、致命的な病気の宣告を受けたとき、「私が死ぬはずがない」と思えば、医者の言うことを聞いてその後の治療について話し合うことができないだろう。そんなときに「これを試せば助かりますよ」と健康食品などをすすめる人が現れたらどうなるか。「これで病気が治せる」という受け入れ可能なウソにすがって、残された時間を虚構の中で過ごすことになる。最後は、自分自身に裏切られたことを悟るのかもしれない。
確かに、厳しい現実というものはある。こっちの気持ちなんか蹴散らして、現実というものはやってくる。でも、それが気に入らないからといって魔法の国に生きることは人間には許されないんだ。残念なことだけれど。
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